ラッパー紹介

【ZEEBRA】プロフィールや過去・経歴を紹介!家族・娘・Beef・凄さを解説

日本語ラップと言えばZEEBRA。

それほどまでにZEEBRAは日本語ラップ界に貢献しています。

賛否はありますが、常に矢面に立ち日本語ラップ界を牽引し続けるZEEBRAについてまとめています。

ZEEBRAのプロフィール

MCネームZEEBRA
本名横井 英之(よこい ひでゆき)
生年月日1971年4月2日
身長178cm
出身東京都港区六本木
学歴文化学院中退
レーベルGRAND MASTER
SNSTwitter / Instagram

ZEEBRAは1971年4月2日に生まれます。

裕福な家庭に生まれたZEEBRAですが、その人生は波乱万丈あったみたいです。

MCネーム「ZEEBRA」の由来

MCネーム「ZEEBRA」はシマウマ(ZEBRA)に「E」を足したものと語っています。

シマウマの模様は黒と白で「隠と陽」という意味も込めているそうです。

ZEEBRAと名乗った頃から「俺は両方(白と黒・隠と陽)を表現する奴だ」と意識して制作をしていると語っています。

ZEEBRAの家族

ZEEBRAの家族や祖父母は凄い経歴を持っており、意外と芸能一家です。1人1人まとめていきましょう。

横井英樹

ZEEBRAの母方の祖父です。

奉公人から叩き上げで横井商店を開業。

一代で財を成しました。後にホテルニュージャパン火災事件で実刑判決を受けています。

この火災は死者33名の史上最悪の人災と言われており、火災後の横井英樹の対応が悪手ばかりでZEEBRAはいじめに遭います。

戸籍上はZEEBRAは英樹の養子になっています。

坂倉竹之助

母親の再婚相手です。

ZEEBRAの育ての親であり、「カッコいい男の振る舞い」を背中で見せてきたそうです。

ギャラリー・サカや東京ミッドタウン等の作品があり、神奈川県建築賞や日本芸術院賞等を受賞しています。

武之助の父親の坂倉準三も建築家として高い評価を得ています。

SPHERE

坂倉武之助と母親の子どもであり、ZEEBRAの異父弟です。

ラッパーとして2002年〜2009年頃まで活動。

ZEEBRAの楽曲world of musicに客演しています。2008年頃から父親の会社で仕事を始めています。

前妻

一般人であり名前は不明ですが、尾崎豊の元カノだったという噂があります。

1991年に結婚。2人の子どもをもうけますが5年後に離婚しています。

2人の子どもはZEEBRAが引き取っています。

横井健人(長男)

一般人として生活しています。

ZEEBRAのコネを使うことなく就職し、現在は結婚しています。

横井錬(次男)

ZEEBRAの次男で前妻との子どもです。

DJ RENとしてクラブで活動しつつ、コンサルタント会社に勤務しています。

横井花音

左上

インターナショナルスクールに通っています。

誕生日に何が食べたいかZEEBRAに問われ、「たくあん」と答えた過去があります。

横井里茉(次女)

「Nizi Project」というオーディションに参加した際、テレビ番組「スッキリ」に取り上げられ一躍話題を呼びました。

トリリンガルでダンスも上手い、何より美人です。

Nizi Projectのオーディションには1万人の応募者から見事合格し、JYPプロデュースの「NiziU」で活動しています。

中林美和

2001年までCanCamのモデルとしして活動。

2002年にZEEBRAと結婚。この時点でZEEBRAには2人の息子がいたので、19才で2児の母となりました。

プロポーズは言葉ではなく曲をプレゼントしたそうです。2002年に長女、2004年に次女が生まれています。

奥さんにTwitterで愚痴られ「いい夫婦の日」にZEEBRA炎上

2016年に奥さん「中林美和」がZEEBRAに対する愚痴をツイートし炎上しています。

この時期ZEEBRAはテレビ番組「深イイ話」で家族との「深イイ話」を披露しており、ヘッズのみならず世間からのバッシングはすごいものでした。

ツイートの内容は

大事な仕事の会食に子供のことお願いしてもイライラされる。ママは毎日子供のお世話しているのにね。ディスリスペクトだ

どんなに夫が忙しくて毎日遅く帰って来なくても、お疲れさまーって思うし、寝る時間なくて大変だなあ、かわいそうだなあって思うから何も言わないのに、私には少しの事で自分を恥じろって言うんだ。そんなことって、悲しすぎる

自分を恥じた方がいいと言われたり、洗い物をしている私のところに来て無言で仁王立ちされたり、この悔しさは消えることはない

など、モラハラ気味なZEEBRA。

19歳で結婚し、いきなり二児の母親になった中林美和。

一時離婚の噂もありましたが、和解しています。

ZEEBRAの生い立ち

 

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幼少期

ZEEBRAは1971年に東京港区に生まれます。

5歳の頃に両親が離婚し、父親はアメリカに移住。

ZEEBRAは母子家庭で育ちます。

家庭は裕福であり、公立の小学校ではなく慶應義塾幼稚舎に進学。

アメリカにテニス留学も経験し、ネイティブな英語に触れています。

ZEEBRAが10歳の時に1982年には祖父が経営するホテルで火災が発生。

死者33名出したにも関わらず、責任転嫁や賄賂で口止めしようとする言動が世間の反感を買いZEEBRAもいじめにあいます。

中学時代

右上がZEEBRA

中学は慶應義塾普通部に進学するものの、クラブ等に出入りをしており素行不良で落第。

公立の中学を卒業しています。HIPHOPに出会ったのは14歳の頃で、友人の兄がDJをしていた事がきっかけです。

高校時代

高校は文化学院に進学しますが、ここも通わなくなり1年の2学期に中退しました。

17歳の頃にNYに渡米。本場のHIPHOPを体験し、ラッパーとしての道を進み始めます。

慶應大学

 

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ZEEBRAが慶應大学卒という情報もありますが、ZEEBRAは文化学院中退が最終学歴です。

慶應義塾にいたのは中学時代までなっています。

ただ、慶應大学の講師として「現代芸術」の授業をした過去もあり、実質卒業より凄いことをしています。

結婚

1989年にはDJ OASISとPOSITIVE VIBEを結成して活動を始めるものの、1991年にクラブで仲良くなった2つ上の彼女と授かり婚をした為に、活動から離れる事となりました。

結婚後のZEEBRAは服飾関係の仕事に就職。

当時は対人恐怖症だった為、長時間の接客は負担が大きかった様子。

ZEEBRAの経歴

 

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ZEEBRAがHIP HOPに出会ったのは1982年の小6の時。

「ハービー・ハンコック」の「Rockit」のパフォーマンスで、ブレイクダンスをしているのを見たのが出会いです。

その後ブレイクダンスは何のジャンルか調べ、HIP HOPを知り、HIP HOP4大要素を学びます。

4大要素の中では「DJ」に興味を持ったZEEBRA。

見様見真似で機材を繋げてDJを開始します。(当時は機材や教本もなく自分で考えてやっていた)

14歳で友人の兄がDJをしていることを知り、DJを開始。

ターンテーブルは「Technics SL-1200mk2」を2台購入します。

後にサンプラーやドラムマシーンなどの機材を購入してビート制作を開始。

17歳の時に「ビート作ったのはいいけど誰かがラップしないとラップにならない」と気付きラップを開始します。

また17歳の出来事としてはニューヨークに1ヶ月半留学し、本場のHIP HOPを体感しています。

キングギドラ結成

1993年にK DUB SHINEとDJ OASISとキングギドラを結成します。

きっかけは友人であったK DUB SHINEの日本語のラップを聞いた事でした。

その後は1995年「空からの力」をリリースしました。

1996年にはキングギドラの活動は停止。

各々の道を進みます。私生活では別居状態にあった妻と離婚し、子どもはZEEBRAが引き取っています。

キングギドラ解散〜ソロでの活動

その後はソロでの活動を本格化し、1997年には「真っ昼間」にてソロメジャーデビューを果たし、翌年にはアルバム「THE RHYME ANIMAL」をリリース。

ソロの傍らでURBARIAN GYMを結成しました。

1999年にはDragon Ashの「Grateful Days」に参加しています。

2000年にリリースしたアルバム「BASED ON A TRUE STORY」はオリコン3位となり、2001年12月には武道館ライブを成功させます。

キングギドラ再結成

2002年にはキングギドラが再結成。

「UNSTOPPABLE」、「F.F.B.」のシングルをリリースしますが、同性愛やHIV患者への偏見を持ったリリックがあり、問題となりました。

後に「最終兵器」をリリース。「公開処刑」や「911(Original Version)」等数々の問題作が収録されました。

2002年再婚以降

 

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2002年には中林美和と再婚し、翌年には「Perfect Queen」で共演を果たします。

2002年と2004年には長女と次女が生まれ、ZEEBRAは4児の父となりました。

2008年にはラッパーとしてデビュー20周年を迎え、武道館ライブを敢行しました。

2010年にはURBARIAN GYMを解散するものの、ハイチの地震を受けてJP2HAITIというプロジェクトを開始。

2011年2月には賛同したアーティストによる楽曲「光-hikari-」をリリースし、売上の一部をハイチに寄付します。

同年3月には東日本大震災が発生し、キングギドラをKGKD名義で復活。「Black World/White Heat」をリリースします。

2012年にはBAZOOKA!!! 高校生RAP選手権が、2015年にはフリースタイルダンジョンが放送を開始。

若きラッパーの育成にも力を注いでいます。CDもコンスタントにリリースし、ライブも精力的に行っています。

ZEEBRAの凄さ

 

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ZEEBRAがラップを始めたのは1989年。

HIPHOPの黎明期でした。80年代はHIPHOPは明日終わると言われ、一過性のブームでしかありませんでした。

ZEEBRAはHIPHOPをブームではなく、1つの音楽ジャンルとしての地位を固めさせました。その始まりはキングギドラの「空からの力」でしょうか。

日本語の単語と単語で韻を踏む、小節の語尾で韻を踏む等のスタイルを生み出したのは彼らの功績です。

後のラッパーが生み出す多くの作品が「空からの力」の影響を受けています。

ZEEBRAの知名度を更に高めたのはDragon Ashの作品「Grateful Days」でしょう。

「俺は東京生まれHIPHOP育ち」と言うリリックがブームとなりZEEBRAを知らない層にも知られる事となります。

その影響力はラップに留まらず、ファッションや髪型を真似する若者も現れました。

ZEEBRAの凄さはそのスキルに留まらず、HIPHOPの文化を日本に浸透させる為、多くの有名なアーティストとコラボをしたり、マスメディアの場に現れた事でした。

Suger Soul、RIZE、安室奈美恵、EXILE、AI等HIPHOPの枠を越えたアーティストの楽曲に参加。

更には2001年には映画「TOKYO G.P」にて主演を担い、ドラマ「15歳のブルース」では家庭教師役等、俳優としても活躍しました。

「クラブとクラブカルチャーを守る会」の設立や、ヒップホップラジオ「WREP」の開局、渋谷区の観光大使、慶應義塾大学の特別講師等、その活躍は留まる事を知りません。

ZEEBRAのBeef歴

ZEEBRAは数々のbeef歴があります。有名なものを挙げていきましょう。

降谷建志


「Grateful Days」で共演を果たしたkjですが、その後の楽曲やライブでのパフォーマンスがZEEBRAと酷似していきます。

「I ♡ HIPHOP」をDragon Ashがリリースした事がHIPHOP界で衝撃が走ります。

「I ♡ HIPHOP」は「I LOVE ROCK’N’ROLL」をサンプリングしたものでした。HIPHOPをよく知らないリスナーからDragon Ash=HIPHOPと解釈さる事を危惧した多くのラッパーは激怒。

更に「Summer Tribe」はZEEBRAを明らかに意識した声質やフロウであり、ZEEBRAは2002年の楽曲「公開処刑」でkjにbeefを仕掛けます。

kjからはアンサーはなく、公開処刑を真摯に受け止める事を公言しました。

その後

ラッパ我リヤの「Mr.Q」の結婚式で再開、「今度飯でも行こうよ」と誘うも失敗に終わっています。

ZEEBRA自身は既に何とも思っておらず、一緒に曲をやりたいと考えているそうです。

また、互いの奥さん同士は一緒に遊ぶ中でカラオケで「Grateful Days」を一緒に歌うそうです。

NORIKIYO

NORIKIYOとZEEBRAがライブで共演した際、ZEEBRAはリハーサルを怠った為、本番でミスをします。

NORIKIYOは2013年のアルバム「花水木」に収録された楽曲「Go home」でZEEBRAを痛烈に批判。

ZEEBRAはこの一件に関しては、自分が悪いとTwitterで公言。

ZEEBRAからのアンサーソングは今のところありません。

その後

次回出すアルバムでアンサーを返すと公言したZEEBRA。

しかし何年経ってもアルバムをリリースする気配がないまま年月が過ぎています。

また、以下の画像を見て分かるように、自ら誤爆しています。

RAU DEF

2011年5月18日若手ラッパーRAU DEFがTwitterで宣戦布告と言うメッセージと共にZEEBRAのdis曲「KILLIN EM!」を発表。

翌日にはZEEBRAがTwitterで「Die By The Beef」でアンサーソングを発表。

RAU DEFは更に「Trap Or Die」を発表するものの、ZEEBRAはその前のTwitterで「もしもう一回返されても返さない」と述べていたので、2人のTwitter上でのやり取りは終わりました。

RAU DEFはZEEBRAに私怨があるのでなく、若手として大御所に噛みつきたかったのだと思われます。

その後もRAU DEFは破天荒な行動を繰り返し、HIPHOP界で居場所をなくします。

その後

SKY-HIはRAU DEFが復帰出来るよう画策。

RAU DEFはZEEBRAの「Supertech」をカバーした「HYPATECH」をリリースする事となりました。

ZEEBRAと有名アーティストのコラボ

日本語ラップ界のレジェンドとして世間に認知されているZEEBRA。

HIP HOP業界以外からも客演依頼が多く、たくさんの有名アーティストとコラボしています。

特に凄いコラボを紹介します。

Dragon AshGrateful Days Featuring Aco & ZEEBRA
DREAMS COME TRUE24/7 – club mix featuring ZEEBRA
EXILELET ME LOVE U DOWN feat.ZEEBRA & MACCHO
長渕剛しあわせになろうよ’04
カイキゲッショクONE FIRE Feat.ZEEBRA & JESSE
安室奈美恵INDY LADY Feat.ZEBBRA
AIGet Up -Remix- feat.SPHERE of INFLUENCE,ZEEBRA
小室哲哉奇跡 feat.Zeebra
May J×Zeebra×難波章浩ONE MORE KISS

EXILEや安室奈美恵など、日本を代表するアーティストとコラボしています。

ZEEBRAのTV出演

日本人ラッパーの中では飛び抜けてTV出演しているZEEBRA。

2005年にはテレビドラマ「15歳のブルース」という1話完結の作品で主演を努めています。

主題歌も担当し、共演者にはNEWSの手越祐也などがいました。

他にもバラエティ番組では「笑っていいとも」や「ダウンタウンDX」「HEY HEY!HEY!」などにも出演。

2015年開始の「フリースタイルダンジョン」ではメインMCを努めています。

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