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【PONEY(PONY)】激レアさんなラッパーのナイスパニックな経歴!

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PONY(PONEY)のプロフィール

 

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PONY(以下PONEY)は1985年、山梨県出身のラッパーです。

2002年、17歳でラップと出会い、翌年より「PONY」と名乗りフリースタイルラップを始めます。

同じ山梨のHIPHOPグループ「stillichimiya」の一員としても活動。2006年に2ndアルバム「One Peach」をリリース。

2010年、自身の1stアルバム「VERSEDAY」をリリース後、stillichimiyaを脱退しソロ活動に専念します。

2013年に2ndアルバム「ポニーピー’」をリリース。

2019年、名義を「PONEY」に変更。翌年、1stアルバム「ナイスパニック」をリリース。

47都道府県ストリートLIVEツアーによるプロモーションが話題となります。

2021年末から、YouTubeライブ配信による前人未到の36時間フリースタイルラップに挑戦し成功。

2022年、2ndアルバム「鴛鴦」をリリースし現在に至ります。

MCバトルでは「UMB 2009 REVENGE」や「B-BOY PARK 2011 冬の陣」で優勝したこともあり、日本語ラップ界において実績も知名度も十分なラッパーです。

名前の由来

ラッパーとしては2003年より「PONY」名義で活動していました。近所の幼馴染みNAIKIにポニーと呼ばれていたそうです。

2019年にMCバトル「KOK」終了後、「PONEY」に変更しますが理由は分かっていません。

ただ、「PONEY」の方がYouTubeやgoogle検索でヒットしやすいというメリットがありますね

家族

 

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サキイさんという奥さんがいます。

後述の47都道府県ストリートLIVEツアーではPONEYに同行し、サポートしました。

ファッション

「ナイスパニック」と書かれた洋服を着ていることが多いです。

これは自らがプロデュースするブランド「ナイスパニック」のもので、公式ネットショップで購入することができます。

性格

ラッパーの晋平太曰く「真っ直ぐで面白くてピュア」だそうです。

その反面、PONEY自身は「怒りっぽいので、怒らないように心がけている。ネガティブ発言もしないようにしたい」と語っています。

PONY(PONEY)の過去・経歴

 

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ラップを始めたきっかけ

17歳の頃、地元のラッパー友達に誘われてイベントに遊びに行ったPONEY。

その時に観たライブがかっこ良かったのと同時に「自分がやったら、もっとヤバいものができる」という若者にありがちな根拠のない自信が生まれます。

決してプロになりたいわけではなく「HIPHOPで自分の内側にあるものを表現したい」というピュアな意思。こうしてラップを始めることになり、フリースタイルにハマります。

後のstillichimiya(現在は脱退)のメンバーになるKTY(カイトザヤイバ)とラップし合ったり、ライブでかっこいいと感じたMCが休憩している所に直接出向き、自分の感動をラップで伝えに行ったりしていたようです。

「その人がタバコを吸ってるところに行って、流れてる音楽に乗せて『さっき超ヤバかったぜ!』みたいなことを俺がラップで投げかけると、相手のアンサーがラップで返ってきて、『おおやっぱヤベえ!!』とか言ってるうちに周囲の奴らも入ってきて……って感じで、もう延々とラップが続くみたいな(笑)」

フリースタイルによってラッパーとの出会いが増え、ラップスキルが上がっていくPONEY。フリースタイルの魅力についてはこう語っています。

「その時思っていることをピュアに吐けるから、俺はフリースタイルがすごく好きです。会話の中で疑問を振られて、『でもそれってこうじゃない?』というひらめきがあった瞬間をラップすることが楽しいし、それに対する周りのリアクションや一体感もあって、それを財産に感じられる。だからずっと続けていけるな、と思います」

ラッパーとしての経歴

HIPHOPと出会いフリースタイルを続けていたPONEY。

キャリアの当初はPONYと名乗っていました。2000年台前半、KTYから「めっちゃ面白い奴らがいる」と紹介を受け、同じ山梨のクルー「stillichimiya」(スティルイチミヤ)と出会います。

stillichimiyaは2004年、山梨県一宮町が笛吹市と合併される事態への反発心から「一宮の名前を残そう」と結成。PONEYはメンバーのYoung-Gのスタジオに行って遊んだり曲を作ったりする仲になりました。

「忘れもしねえこれと決めた晩 真っ暗な俺の世界に点いたライト きっかけはカイト Young-G宅に足を踏み入れて変わった価値観 初めてやるレコーディングにアガる」( PONY – あの頃と今)

この出会いが転機となり、stillichimiyaのメンバーが上京するタイミングで、PONEYも上京。2006年、stillichimiyaが2枚目のアルバム「One Peach」を出すこととなり、

PONEYもメンバーとして曲作りやライブに参加するのでした。2007年にSEEDA & DJ ISSOの「CONCRETE GREEN」に楽曲が収録されたり、田我流が1stアルバムをリリースするなどstilliichimiyaの知名度は上がっていきました。

PONEYもソロ活動では、2010年に桃源郷RECORDSから1stアルバム「VERSEDAY」をリリース。

このアルバムにはstillichimiyaの田我流、SD-JUNKSTAのWAX、シンガーのCHIYORIらが参加しました。また、2011年には「DJ ISSO PRESENTS “THE JOINT”」をリリースします。

上京の甲斐あって、活動範囲を広げていたPONEY。しかし、クルーの活動からはこのあたりから離れることとなります。

「(上京後)徐々に山梨に戻っていくメンバーもいる中、2009年、stillichimiyaがMary Joy Recordings(レーベル)に所属することになりました。その時、俺は東京にいたし、レーベル所属のタイミングで彼らのもともとのルーツである、一宮出身の幼馴染ソウルや音楽性というのをはっきりさせようとしていたこともあって、その時点から俺はstillichimiyaではなくなりました。みんな、自分より3つ年が上の人達だったんで、俺からすると「親戚の兄ちゃんたち」みたいな気持ちを抱いていましたね。本当に、いろんな遊びを教えてもらいました(笑)」

決して不仲が理由ではないということですね。

2013年の2ndアルバム「ポニーピー’」は、自らのレーベル「松生プロダクション」からリリースします。stillichimiyaから離れましたがこのアルバムにも前作同様Young-Gが参加。収録曲「アウターゾーン」のMV撮影も同じくMMMが担当しました。

2014年には、BLACK SWANにレーベルを移籍し「PONY EP」をリリース。

当時レーベルの代表を務めていたDARTHREIDERのブログには、PONYがMCバトル絡みでトラブルに巻き込まれていたと思われる記述が見受けられます。

「PONYは(MCバトルの)賞金と共に、主催でサウンドトラック(これまた問題物件ではあります・・・)をリリースしている某レーベルからアルバムを出す話ももらって。
だが、そのアルバムは日の目を見ていない。
結局、全く別のアルバムを自分のレーベルからリリースしているが、そこにVERBAL PROMISEという曲。口約束についての曲が収録されては、いた。なにがあったのか?」
「PONYにも片付けるべき問題があった。先に進むために、マイクを握る。それがRAPPER」

収録曲の「SUKIKATTE」(好き勝手)には、「 人生は気まぐれ、俺もあんたもいつかは死ぬし、だから好き勝手いこうよ」という想いが込められているそうです。

このリリース以降、PONEYの行動にはラッパーの中でも独自色が強まります。

2016年には再び松生プロダクションからEP「ちょっと話がある」をリリースし、地元山梨でイベント「サンデイパニック」主催。

2019年に「PONEY」に名義変更し、この年8ヶ月連続でシングルをリリース。

2020年にはPONEYとしての1stアルバム「ナイスパニック」をリリースし、47都道府県ストリートLIVEツアーや36時間フリースタイルに挑戦し達成。

2022年、47都道府県ツアーで出会ったラッパー達と作成した2ndアルバム「鴛鴦」リリース。

ナイスパニック

 

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PONEYの口癖です。2016年、PONEYは山梨で「サンデイパニック」というイベントを主催します。

そこで、サイファー(ラッパーが円になって路上でフリースタイルラップをする)を見かけたPONEYは地元のラップ熱に感動。思わず「ヤバすぎるマジナイスパニックなんだけど」とつぶやき、これは使えると確信。ポジティブな出来事に直面したときだけではなく、自分や他人が失敗したときに励ますためにも使える魔法の言葉が生まれました。

これがきっかけで、サンデイパニックは後に「ナイスパニック」に改名。2019年にはPONEYが社長を務めるナイスパニック株式会社の名称にもなります。

以降もラップはもちろん、アルバムタイトルやTシャツにも使用。後述の47都道府県ツアーや36時間フリースタイルの話題性と相まって「PONEYといえばナイスパニックの人」というイメージが日本語ラップシーンでは完全に定着したと言えるでしょう。

47都道府県ストリートLIVEツアー

2019年、PONEY は新名義での1stアルバムを作成しながら悩みます。PONY時代の経験を踏まえ「もっと上手にアルバムを宣伝する良い方法はないか」。そうして思いついたのが47都道府県をストリートLIVEで巡りつつ、YouTubeやSNSで拡散することでした。

奥さんのサキイさんに相談したところ、「え?面白そうじゃん!!」とノリノリ。活動資金を出してもらえる人も見つかり、これがきっかけでナイスパニック株式会社を設立します。

さらに地元のレンタカー会社に相談した所、「ナイスパニック」と書かれた車を貸してもらえることになりました。

そして、コロナ禍による緊急事態宣言解除後の2020年6月20日。この日から4ヶ月に渡って夫婦で全国を訪問しました。アルバムのプロモーションとして手応えがあったのはもちろんのこと、このツアーでのラッパー達との出会いが2022年発表のアルバム「鴛鴦」につながりました。

36時間フリースタイルRAP

PONEYは2021年12月31日から2022年1月2日にかけて、YouTubeライブで36時間フリースタイルRAPに挑戦し、見事成功しました。食事中もゼリーや味噌汁などを飲みながらラップ。インカムを用いトイレ中も絶えずラップし続けました。

元々は2021年9月11日にも挑戦し成功していました。しかし、証拠となるYouTubeのアーカイブを途中までしか残すことができず、ギネス世界記録に申請ができなかったためによる再挑戦でした。

この件で2回目挑戦の前にテレビ朝日「激レアさんを連れてきた。」に出演しました。

仲のいい人物

カルデラビスタ

ラッパーでMCバトル「UMB 2005」のチャンピオンです。

2008年頃、クラブでPONEYと出会い仲良くなったそうです。2013年にPONEYの楽曲(当時はPONY名義)「トキ」に客演として参加。

2017年の「フリースタイルダンジョン」ではPONEY、 句潤と同じチーム「クリティカルヒッターズ」を組みました。

2019年、PONEYのYouTubeチャンネルにある「フリースタイルdiary day 44」の動画で共にラップをしています。

2022年、PONEYの2ndアルバムリリースについてTwitterで以下のコメントをしています。

「こんなアルバムは今までに無い 行動力を学ばせてくれる男の作品。俺も聴かせてもらいます( ̄^ ̄)ゞ」

MCバトル

PONEYは「UMB 」や「KOK」、他にも様々なMCバトルに出場してきました。

「UMB 2009 REVENGE」や「B-BOY PARK 2011 冬の陣」では優勝したこともあり、テレビ番組「フリースタイルダンジョン」にもチャレンジャーとして出演経験があります。

なお、2019年に「ニートtokyo」のインタビューで、これまでのMCバトルの賞金について聞かれ「250万くらいじゃないですか?」と答えています。

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