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【MACCHO】プロフィールや過去を調査!KREVAとの関係は?横浜のOZROSAURUS

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90年代後半から横浜を拠点にシーンを盛り上げたOZROSAURUS。

そんなOZROのMCを務めるのが「MACCHO」です。

今回は結成のときから長きに渡りOZROSAURUSであり続けたMCのMACCHOさんについて紹介していきます。

MACCHOのプロフィール

MCネームMACCHO (マッチョ)
別名麻超
本名鈴木麻超(スズキマサオ)
生年月日1978年4月8日
血液型A型
身長170cm
出身横浜市磯子区
学歴武相高校中退
バンドOZROSAURUS
SNSTwitter / Instagram

今年(2020)で42歳になるMACCHOですが中学生の頃からラップを始め、16歳で初めてレコーディングをこなすなど、かなり若い頃からヒップホップに目覚めていたようです。

MACCHOの奥さん

MACCHOが結婚しているかについては公式に発表されていません。

ただMACCHOの結婚に関してリサーチしていると、奥さんは一般人でモデル見たいに綺麗な人との証言もあります。

TOKONA-Xとの関係


TOKONA-XとMACCHOと言えばアルバム「トウカイXテイオー」の収録曲「Where’s My Hood」です。

リリックの一部を紹介します。

きっとすれちがってた あの街の中 一目置かれてた悪ガキ達から
竜って呼ばれてた 「そいつは男だ。」 大樹や直希がよく言ってたそれが
古川竜一 後のTOKONA 13、4のころから知ってたその名
南区六ッ川、横浜 どの街でもなくこの街の出だ
あの尾張名古屋のBig若旦那 懐かしさよりもいっつもファンだ
どこか浜のニオイがしたんだ 誇りだぜ同じ時を生きれた時間が
ラッパーって何?って聞かれたら最初に挙げる一人
伝説は眠らない 残した言葉に生かされた人の想い背負い

TOKONAは横浜で過ごしていた期間も長く、町は違ど「古川竜一」の名前はMACCHOの耳に入っていました。

実は幼い頃から繋がっていた2人。

今では横浜の代表「MACCHO」名古屋の代表「TOKONA-X」と言われています。

グランドマスター脱退

ZEEBRAがCEOのHIP HOPレーベルGRAND MASTERに所属していたOZROSAURUS。

何もアナウンスされないまま脱退しています。

MACCHOのファッション

 

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MACCHOはファッションブランド「VANTAGE」や「ASSASSYN JEANZ」を手掛けるなどファッションセンスも良いです。

ASSASSYNの名前の由来もお洒落で麻の神様「麻神」から来ています。

ASSASSYNのパンツはいわゆる土管と言われる極太パンツです。

MACCHO自身痩せていった結果、現在はタイトなスタイルのコーディネートをすることが多くなっています。

バンダナとキャップ

 

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MACCHOがよく着用しているバンダナは横浜DeNAベイスターズとのコラボで誕生した商品です。

柄には薔薇や銀杏など、横浜市の花と木が採用されています。

また、同じくベイスターズとのコラボ企画で生まれたキャップもよく着用しています。

タトゥー

 

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MACCHOのタトゥーといえば「神のみ知る」と「行く我道」ですね。

インタビューや公式の場でタトゥーの意味を公言したことはありません。

文字通り意味を読み取るなら「神のみ知る人間には知る由もない世界。だから俺は自分の道を行く」みたいな感じですかね?

MACCHOの過去・経歴

 

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中学時代

MACCHOは中学時代に横浜で結成されたヒップホップグループDS455のMC・Kayzabroと出会います。

14歳でDS455に加入し、MICを握ったのがMACCHOのラップ人生の始まりです。

高校時代


NORIKIYO曰く、高校時代で既に神奈川県のキングだった「MACCHO」。

テレビ出演や雑誌掲載で高校時代から知名度や人気を獲得しています。

その後、高校は中退してラップに専念しています。

17歳でコンピレーションアルバム「CLUB WILD.B」でトリを務め、「Nanatsuki」と言う楽曲でMC MACCHO名義で参加しています。

現在「CLUB WILD.B」は4万と言う値段が付いています。

OZROSAURUS結成!メジャーデビュー

1996年にOZROSAURUSを結成。

結成当初はDJ TOMOとMACCHOの2人で活動を開始しています。

1997年に「ライムダーツ」でメジャーデビュー。

2000年にはラッパ我リヤの「和ILL道スタイル」に客演として出るなど、話題を集めました。

翌年2001年、楽曲「ROLLIN’ 045」がヒットし8万枚を売り上げ有名に。

収録曲「WHOOO」のジャケ写となった少年は現在「JUA」と言ってラッパーになっています。


2002年はクラシック「Hey Girl」を発表しています。

事故

2003年2ndアルバム「Juice」発表後に、当時28歳のMACCHOは事故に遭っています。

バイクの事故でかなりの重体になり生死を彷徨いました。

本人がラジオで肺が片方無いと言っていた情報もあります。

事故の経験から死生観が養われた結果、ミュージシャンとしての責任感が生まれたと語っています。

バイク事故から生還し、事故以前より言葉の重みを感じさせるMACCHOはまさに不死鳥だと言われています。

また完全復活を宣言した2005年の楽曲「The Phoenix ( will rise )」は必聴です。

ソロでの活動

OZROSAURUSとして共に活動していたDJ TOMOが2004年に脱退し一人でOZROSAURUSを続行。

2006年にはアルバム「Rhyme & Blues」がBEST HIPHOP ALBUMに選ばれ、輝かしい成績を残しています。

その後もソロで続々とアルバムを出しますが、2015年にレーベルを移籍と同時に新たなメンバーを加え入れ、6人で新たなOZROSAURUSとして活動を始めています。

KREVAとのBEEF


2006年、MACCHOの伝説の中で有名なのがKREVAとのBEEFです。

アルバム「Rhyme & Blues」収録曲「Disrespect 4 U feat.ZEEBRA」でKREVAをDis。

ステージにいてもStudioでも
そこにHip Hopがあるなら Street
ガキだまくらかす くそエリート
サビの唄のメロでへたれヒット
おりこうさんだが ナルシスト
それがあだで迷い込んだHip Hop
だがそれまでにしろおめーのラップごっこ
ここじゃ通用しねえおめーの学力も
(MACCHO)

あくまでリスペクトありき。名前を出さず暗喩、比喩表現でDisをかまします。

KREVAは「THE SHOW」でアンサー


まずはHookの

one for the money, two for the show,
three for the people みな調子どう?(Ho!)

これは1に金が大事と言いたい感じですかね。

次にOZROの「ON AND ON」から

人は人 俺は俺
やいのやいの言う前によこしな beat beat

「俺は俺だけさ 常忘れねぇ 人は人」をサンプリングしてます。

最後のHookに行く前には、同じ音楽をやってるけど俺は俺の音楽をやる的な感じでアンサーをしています。

例え家族だろうが親友だろうが双子だろうが
幸か不幸かどうやったって
どんなに頑張ったところで同じ色は見れない
それぞれの真っ赤 それぞれの真っ黄
それぞれの真緑 オリジナルカラー
それぞれの sound それぞれに愛す

再び「1 for da 何?」でアンサー

MACCHOも再び「1 for da 何?」でアンサーを返します。

KREVAの「one for the money, two for the show,three for the people みな調子どう?(Ho!)」のラインを引用して

1 for da マネーって言うけどクソ 一番大事なのはRhymeとShow

と返します。

また以下のラインは痺れました。

俺の中の少年 夢と現実
変わらん未だまだ俺の暴言
揺れろ上下 飲めよ俺のションベン
神よ捌け Yo 男の挑戦

ラストアンサー「TECHNIC feat.KREVA」


ラストはSEEDAの「TECHNIC feat.KREVA」にてこのBeefは終焉を迎えます。

地下深くから地上高くまで理想高く持ってやり続ける コレに尽きるだろ
そこで 1 For The What? 2 For The What? きっと人それぞれ言うことはないはず
マイナスのバイブスで茶々入れる奴は何も分かっちゃいねぇな

お互いに名指しではなく比喩を使ってDIS曲を出していましたが、曲の完成度が高すぎるあまりに言われるまで気づかなかったといった声もあるほど。

直接的なDISの表現ではなく、相手の曲の言い回しを使う二人ならではのクオリティ。

BEEFとなっていますが、お互いの曲をしっかり聴いてアンサーを出しているので二人の相手へのリスペクトが感じられる名シーンとなっています。

このことからも二人のBEEFは有名であると共に非常に評価が高いです。

MACCHOと仲がいいラッパーは「般若」

般若とMACCHOは家族ぐるみの付き合いです。

般若がSAYと結婚する前の段階から仲が良かったMACCHO。

「Life Is One Time.」では3人で共演しています。

また、般若とは78年式の同年代で、楽曲での共演もかなり多いです。

OZROSAURUSとは

 

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ハマの大怪獣との異名を持つ、横浜を拠点に活動するヒップホップ・グループ、オジロザウルス。2015年からはMCのMACCHOを中心にバンド・スタイルで活動。

1996年の夏、DS455に在籍していたMCのMACCHOとDJのTOMOによって結成。1997年のミニ・アルバム『ライム・ダーツ』でメジャー・デビュー。2001年にリリースした『ROLLING 045』がスマッシュ・ヒットを記録。新世代代表として広く認知される。

2003年、2ndアルバム『JUICE』リリース後、MACCHOが交通事故に遭い一時的に活動休止となる。2004年、DJ TOMOが脱退。以後、MACCHOのソロ・ユニットとなる。そして、2006年3月、待望の3rdアルバム『Rhyme&Blues』をリリース。

2015年から、Zeebra率いるヒップホップ・レーベル、GRAND MASTERに所属。山嵐のベーシスト、武史らが加入し、6人でのバンド・スタイルに移行した新生オジロザウルスとして活動中。

現在のメンバー

  • MACCHO(MC)
  • DJ SN-Z( DJ)
  • 武史(ベース)
  • Bunta(ドラム)
  • YD(ギター)
  • GUNHEAD(マニピュレーター)

OZROSAURUSの名前の由来

OZROSAURUSの由来はたくさんのエピソードがありすぎてMACCHOやメンバーもイマイチ覚えていないみたいです。

ただ、OZROの部分は「オセロ」や「オジロワシ」から来ています。

とにかく目がよく、遠くからでも獲物を仕留めると言う意味がかかっています。

とにかく「目」を強調したくて付けた名前がOZROSAURUSだそうです。

OZROSAURUSのおすすめ音源

このようにMACCHOは横浜を代表するラッパーなわけですが、OZROSAURUSUとして数々の名曲を生み出してきたので紹介していきます。

AREA AREA

言わずとしれたクラシック。YouTubeの再生回数は700万回を超えていて、2020年の現在でも再生回数は伸び続けています。

WHOOO

こちらも名盤ですね。

再生回数は180万回を超えていますがMACCHOとDJ TOMOの全盛期と言えるほど渋いです。

フリースタイルダンジョンにてR-指定vsCIMAの回で使われていました。

曼陀羅

OZROSAURUSが新しいメンバーで活動を始めてからの曲になります。

まとめ

20年に渡り横浜からヒップホップシーンを盛り上げたきたMACCHO。

多くの名曲と伝説を残す男です。

6人のメンバーで新たなOZROSAURUSとなりましたが今後もMACCHOの勢いは止まりません。

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